コラム
ドローンを支える“見えない発明” ──スペクトラム拡散
投稿日/2025.07.23
スマートフォン、Wi-Fi、GPS、そしてドローン。
現代の私たちは、まるで空気のように“無線通信”を使いこなしています。けれど、その当たり前を支えている目に見えない技術のこと、どれだけ知っているでしょうか。
今回は「スペクトラム拡散」という、一風変わった名前の技術をご紹介します。
少し専門的に聞こえるかもしれませんが、心配はいりません。今回はこの技術のルーツを、意外にも1940年代ハリウッドという“映画の世界”から紐解いていきます。
戦争と女優が生んだ通信技術
スペクトラム拡散技術の起源のひとつは、1942年に米国で出願されたある特許にさかのぼります。
発明者の名前を見て、通信技術者たちはきっと目を疑ったことでしょう。
発明者のひとりは、ヘディ・ラマー。
ヘディ・ラマーはオーストリアのウィーン出身での映画俳優です。当時の映画プロデューサーは「最も美しい女優」と銘打って彼女を宣伝。映画『春の調べ(Ziegfeld Girl)』や『毒薬(Algiers)』など数々のヒット作に出演し、グラマラスなハリウッドスターとして知られています。
しかし、その華やかなキャリアの裏で、彼女は戦争の現実と向き合っていました。
元夫の交友関係などからナチス政権の台頭を嫌ってアメリカへ亡命し、連合国の勝利に貢献したいという強い想いを抱えていたのです。
そして出会ったのが、作曲家で、スペクトラム拡散のもうひとりの発明者となるジョージ・アンタイルです。
友人であったジョージ・アンタイルの協力を得て生み出したのが「周波数ホッピング方式」という発明でした。
これは、魚雷の無線制御信号を敵に傍受・妨害されないよう、送信側と受信側が事前に決めた“周波数の譜面”に従って同時に周波数を変えながら通信する仕組み。
ちょうどピアノの自動演奏のように、機械が周波数を自動で切り替えるという発想でした。
このアイディアは当初、軍に採用されずに忘れ去られます。しかし、のちに軍事通信技術として再評価され、さらには民間の無線通信技術であるWi-FiやGPS、Bluetoothなど、広く応用されることになりました。
スペクトラム拡散とはどのような技術なのか
スペクトラム拡散とは、本来は狭い帯域で伝えられるはずの信号を、あえて“広くばらまくように”して送る通信方式です。
一見すると非効率にも思えますが、実はこれによって、通信の安定性や安全性が格段に向上します。
スペクトラム拡散の通信の安定性・安全性には、次のような特徴があります。
■ セキュリティ性:通信内容を傍受されにくくなる
■ 共存性:他の機器との電波干渉が起きにくくなる
■ 耐ノイズ性:雑音や障害物の影響を受けにくくなる
特にドローンのように「遠くまで安定して」「混信せずに」「正確な制御信号を送り続ける」必要がある機器には、この仕組みがぴったりというわけです。
私たちは、“拡散”の上に暮らしている
スペクトラム拡散は今や、文明のインフラともいえる技術となっています。先述しましたが、GPSもBluetoothも、我々ドローン操縦士になくてはならないドローンの制御信号も、この技術の応用のひとつです。
実際、多くのドローンが採用している2.4GHz帯の通信には、「FHSS(周波数ホッピング)」や「DSSS(直接拡散)」といったスペクトラム拡散の応用技術が使われています。
ドローンを飛ばすときに意識することは少ないかもしれませんが、その安定性や安全性の背景には、この見えない工夫が息づいているのです。
つまり、私たちがドローンをスムーズに操作できるのも、映像をリアルタイムで受け取れるのも、“ばらまく”という逆転の発想のおかげなのです。
結びに代えて
ドローンという「空を飛ぶ」技術の裏には、地に足のついた、でも目には見えない「拡散する」技術があります。
ヘディ・ラマーが見た未来は、80年後の今、スマホのポケットの中にも、空飛ぶカメラにも、静かに息づいています。
次に何かを「飛ばす」とき、その背後にある“見えない発明”に、少しだけ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。